今を生きる、あなたへ。


8月31日の夜。
今、あなたは何を思っていますか?


毎年この夜はどうかどうかと願ってしまう。
どうか幸せでいてほしいと。。

"他人は他人、うちはうち。"
本当に、その通りだなとこの歳になって尚、日常の中で感じること。大人も子供も関係ない。だって、窮地に立たされた時や、酷な環境になればなるほど、そうだから。身を呈して何かを第三者に循環できる人って実際そんなにいない。その証拠のひとつとして世界では未だに戦争が存在している。悲しけれど、これが現実。結局、どんな言葉を並べたって、全ての人がまるっと愛し合える理解し合えるそんな世界はいつの時代も存在していない。。

こんな世界だから、悲しいけれど、自分の利益基準思考が生まれる。ただその思考が構築されたは場所が学校であった場合、その事態はもっと最悪なことになる。まだ未熟な10代の子供たちが主軸で動く約40人程度の小さな世界。そんな場所でそんな帝国が築かれてしまったら、一方的な誰かの支配力が強まり、他の力が効力なくなっていくことは想像しなくても分かること。

24歳になった今は、その独自のルールを貫く小規模な帝国なんて世の中では一切通用しない世界だということは根っこから理解出来る。そんなの相手にせず無視してしまえと言い放つ大人の言葉の意味も冷たいとは感じるけれど、意図は分かるようにはなった。
ただ逆に、大人がよく言う "逃げろ" の表現は違うのではないかと感じるようになった。
なぜか、人と人が対立すると "戦う"と"逃げる" の言葉が出てくる。
でも、きっとそうじゃない。"戦う"も"逃げる"もきっとその表現は間違ってる。
本当に危険なのはその帝国を作った人。心を癒して、愛を与えないといけないのは、その帝国の王様の人。
誰かを支配したいという心が生まれるきっかけのひとつに愛情不足という一説がある。私はその通りだと思う。心が愛でたくさん満たされていれば、まず誰かを支配しようだなんて思考にはならない。傷つけようだなんて思考には繋がらない。と私は思っている。余裕がなかったり、何かに追われてたり、そういう色々が積みに積み重なった先に生まれるのが支配力だとしたら。本当にカウンセリングをしないといけないのは、支配してる側の他にない。
その支配している人を見て、みんなが 「この人、愛が足りてないみたいだよ」 と感じ、優しい手を差し伸べることができたら。同情なんかじゃなく、心に本当の愛を注げることができたら。支配力に怯えて便乗するのでなく、その支配力を新たな支配力に変え集団抵抗するのでもなく、その人の心の根と向き合うきっかけを作ることができたら。寄り添う心でお互いを満たすことができたら。そんな未来があれば、それが1番未来に光を灯せるやり方なのではないかと、今の私は考える。

ただこれは子供だけの世界で一任するとしたらユートピアになる話。大人の世界ですら難しいことをまだ未熟の10代の子達に一任するのはお門違い。
これをちゃんと現実にするには、私たち大人と呼ばれる人達がまず理解し合い、お互いの手を取り合い、今まで以上に目の前にいる人たちと向き合っていく必要がある。そしてその先に、ようやく彼ら彼女らの手を掴むことのできる未来が訪れる。私たちがその手を伸ばし、救いあげる力がないとできない話。手を伸ばした先に振り払われても、拒絶されても、どうにかこうにか、その子が求める愛をちゃんと汲み取り、注いであげることのできる、満たことのできる、その力が私たちにないと叶わない話。

全てを分かり合うことなんてできないかもしれない。そんな大それたことできる人間はほんの僅かだと思ってる。でも、いないわけではない。そして、分かり合うことは出来なくても、相手への敬意と愛さえあれば、分かち合うことはできるはずだから。。

言わなくちゃ分からない。伝えないと伝わない。それは世代関係なく、年齢関係なく、生きてる私たちに与えられているひとつのルール。"伝える"を疎かにした瞬間、その瞬間から伝わるものも伝わらなくなっていく。伝えないとその感情は時と共に腐食していく。だからね、あなたには"伝える"を武器にしてほしい。好きも嬉しいも愛してるも楽しいも、辛いも苦しいも助けても、全部全部届けたい人に、分かっていて欲しい人に、届けれる人であってほしい。絶対大丈夫だから。あなたが伝えたいと思った人には、絶対ちゃんと届くから。どうかね、伝えるを疎かにだけはしてほしくない。そして、まだ未熟な彼ら彼女らに、"伝えても大丈夫なんだ"と伝えることで生まれる愛や優しさを伝えられる大人にならないと、いけないのだと私は思っている。

明日どうなってるかわからない未来を、常に生きている私たち。どんなに人を巻き込んで生きていたって、最後に自分を守れるのは自分しかいない。誰かが守ってくれるだなんておとぎ話は存在しない。そして、現実として自分自身を守れてこそ、大切にできてこそ、誰かを守れることができる。自分の身は自分で守る、自分自身を大切にする、それができている人がそのエネルギーを外側に向けることができた時、そういう人が結果的に人として強く、人を守ることができるんだと今の私は思っている。"1人"と"独り"は違うけれど、独りじゃ生きれないかもしれないけれど、、でも、結局どうしようもない最後が訪れた時、その時はみんながひとりで戦わないといけない。"人は人、私は私" そうやって割り切って生きないと進めない瞬間が生きてたらどうしても出会ってしまうものなんだよね。周りをどんなに巻き込んでいたとしても、自分の人生は自分のものでしかないし、そこへの責任は全て自己責任。良くも悪くも決めた道の先は自分で歩むしかないんだから。

自分の足で歩けるようになるには、たくさんのことを経験しないと強くはなれない。
ただその強くなる方法は、苦しみから生まれるものが全てではないから。そんな苦しみ、経験しないでいいなら経験しなくていい。
一人一人が想像力を豊かにし、相手の気持ちを考える。愛情を渡し、渡され、愛し愛される、そんな未来が自分の半径3mだけでも広がっていたら、それでいいじゃないか。

あなたの半径3m、どんな世界にしたい?
大丈夫よ、あなたは。一人じゃないからね。

私は私の主観でしか物事を伝えられないから、この言葉ですら暴力に聞こえる人もいるかもしれない。ごめんなさい。
もしそう捉えたあなたがいたら、どうかこっそり教えてほしい。あなたの価値観を私は知らないといけないし、知りたい。

どうか今以上に手を取り合い、みんなが寄り添って、愛溢れる日常が過ごせますように。

私も、あなたも。
どうか未来が元気で明るく沢山笑っている、望んだ場所で咲かせたい場所で花を咲かしている未来が待っていますように。


愛をこめて。
with love.


with love.

A long memo of my milestone events. If I'm in the corner of a your memory, I'm happy.. with love.

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