私なりの生き抜き方。
私は、今日で24歳になる。
なんてあっという間なんだ...と改めて思う。20歳の誕生日から毎年更新してるこの場所も、気づけば4回目の誕生日の更新になる。
23歳の私もよく頑張った。
ほんとね、ちゃんと傷ついて、ちゃんと泣いた。ちゃんとぶつかって、ちゃんと戦った。ちゃんと向き合った。時間は少しかかったかもしれないけれど、ちゃんと今は地に足を着いて生きてる。生きれてる。
時に"時間が解決してくれる"だなんて呑気に話す大人もいるけれど、そんなに世の中は甘くないよね。私は、"時間が解決してくれる"のではなく、"時間が過ぎゆく中で自分なりの生き抜き方を見つけられる"んだと思ってる。何もしないでただ時が過ぎるのを待っていたって何も変わらないじゃん?もしそれでも"時間が解決してくれる"という魔法みたいな方法がもしあるなら、ぜひ私に今すぐ教えて欲しい。笑
そんな魔法みたいな手段を知らない私が、この23年生きて学んだことのひとつ。それは、もし傷つく何かにぶつかった時は、怖がらずに、強がらずに、ちゃんと傷つくこと。ちゃんと泣くこと。ちゃんと苦しむこと。落ちる時はとことん底に落ちてみること。時には誰かの手を頼りながら、愛に救われながら。感情を曖昧にせずちゃんと傷ついて、泣いて、向き合う。そうすれば、過去に何かを深く辛い過去を引きずってしまうことはきっとないから。未練を残さず、その場に傷を置いていくことができたら、きっとその過去は時間が経った時、自分の経験値としての糧に、武器に、絶対なるはずだから...。
大丈夫だよ。大丈夫だからね。もしあなたがどん底に落ちて落ちて落ちたとして、そこから上がってこれない未来があったとしたら、その時は私が絶対に光の届く場所へ連れていくから。約束する。だからね、どうか傷つくことを怖がらないで。独りじゃないからね。手を伸ばしたら、その手をとってくれる人が、そばにいてくれる人がいること、ちゃんとあなたにも居るから。...それだけは忘れないでほしいなと思ってるよ。
失敗しない人なんて絶対にいない。間違わない人も絶対にいない。人は失敗をするから、人に頼らないと生きていけない。間違ってもいい。失敗してもいい。その分、人の失敗も受け入れて許すことができたら、それが本物の思いやりであり、支え合いだと私は思う。そして、助けた過去より、助けてもらった過去を、ずっとずっと覚えていたいな。
大人になると何故か臆病になる瞬間が多くなる。"好き"を表現するのを控えてしまったり、感情を言葉にする前に色々を考えてしまって躊躇してしまう瞬間が多くなる。でもそれって、とても悲しいことだなって思うの。別に全てを不特定多数の全ての人に素直に伝えるのが正しいとは思っていない。ただ、自分が"伝えたい人"には変にカッコつけないで、常に素直に向き合って生きたい。
嬉しいなら嬉しいを、好きなら好きを、大切なら大切を。苦しいなら苦しいを、悔しいなら悔しいを。ちゃんとその時の感情を言葉にしてあげないと、誰にも伝わらないで、どんどん心は塞がっていってしまうから.... そしたら最後には本当の気持ちが言えなくなってしまう。
世界は時に残酷。よく「分かってくれない」と話す人もいるけれど、きっと全てを分かってくれる人なんて世の中にはいない。逆に全てを分かる人も出会えない。だって、自分自身のことすら100%分かってるかと言われたらそうじゃないはずだから。だからこそ、"本当に伝えたい人"・"本当に分かってほしい人"には、"伝える"を疎かにしてはいけないんだと思う。分かってほしいなら分かってもらう努力をするしかない。人間なんて、友達でも、恋人でも、たとえ家族でも結局は相手のことなんて100%は分からない。心の中なんて見えないんだし、言葉だって本心かは分からないから...。だから、分かってほしいなら、分かってほしい相手なら、自分からちゃんと伝える努力をしないといけないんだと思うの。自ら怖がらずに"伝えたい人"に"伝え続ける"。きっと言葉にして伝え続けることができたら、ちゃんと届きたい人に届く未来があるから。うぅん、そうであってほしい。時に少し時間はかかる時もあるかもしれないけれど、ちゃんと伝えたい人に届くそんな未来が、この世界にはしっかりあると私は信じてる。
私は23年間生きてきたけれど、まだまだ未熟なところがたくさんある。自信なんてこれっぽっちもない。未完成なままだから、これからも色んな感情を知って、もっと"人間力"を磨き続けたい。
どんなに頭が良くても、知識があっても、人と接するコミュニケーション能力がないとそれは活かされないでしょ?人が求めているものをちゃんと理解できて、伝えたいことを伝えられて、そして寄り添うことができて.... 人と関係性を築く力が土台にあってこそ、そういう色々な能力は初めて生きてくると私は思うから。。
勉学もそうかもしれないけれど、それ以前に私はやっぱりこれからも"人間力"を磨き続けて生きていきたい。うぅん、そうやって生きていくね。
こんな自分のその時の思いをツラツラ綴ってる長いブログも、誰が読んでるか正直分からないんだけどね?笑 それでも、一応世界の誰かは見てくれてるのは紛れもない事実で。どこの誰かは分からないけどね、開く度にちゃんと"閲覧数"に2桁くらいの数字があるの。ありがたいよね... 本当に。そんな貴方へ、いつもありがとうをこの場を借りて伝えたい。
時に、届いてほしい人にどうかどうか届いていて欲しいだなんて私のちょっと欲混じりのこの場所。今でなくても、いつかの未来、届いて欲しいと願うあなたがこの場所を見つけて、何か少しでも貴方の暗闇を照らせる光になれたとしたら嬉しいな、だなんてね。笑
日記を毎日綴ることができない性格だから、せめて節目にその当時の気持ちを残しておこうと思って、備忘録を兼ねて始めたブログ。時に読み返した時、昔の自分の言葉に拭われたこともあった。もし、読んでくれているあなたの心の何かを、紐解く何かに少しでもなっていた過去や、なる未来があるとしたら、それ以上に嬉しいことはないです。
そして、そうでなかったとしても、こうして時間を割いてここまで読んでくれたこと、本当にありがとうございます。
見えるもの、見えないもの。見せるもの、見せないもの。語れること、語れないこと。生きてると色んなことがある。幸せそうな人が裏では苦しみを抱えてることだって、不思議なことではない。
23歳、ちゃんと生きた。色んなことを感じたからこそ得たものをこれからに活かしていこうね。23歳の1番の学びは、そうだね。"自分を大切にできてこそ、はじめて人を大切にできる"ということかな。昔から人生の目標軸が"誰かの心を愛で照らせるおひさまのような人になりたい"だからこそ、"誰か"を主軸に考えることも多かったけど、きっとそうじゃない。自分のことも大切にしてこそ、はじめて周りを大切にできることに23年目にしてやっと肌身から感じて、学べた。いつか、色々を経験したこの23歳の私があったから、今があるんだって未来の私が笑っていたら、きっとその時にやっとこの1年の全てが報われるから。笑
24歳。色々に惑わされず、信じると感じたものを信じ、素直に生きてね。愛もろくに与えられない妖怪みたいな人間にはならないで、愛を与える気持ちをこれからも大切にしてね。貰う愛だけでなく、渡す気持ちを大切に、与えたものでなく、相手からもらった色々を大切にできる大人でいてね。
"幸せ上手になりたい"だなんて目標をこの2年間掲げてたけどね、その目標にはまだまだ手が及ばない。30代になるまでに、幸せ上手になろうね。その為に傷つく時は傷つくこと。愛を抱きしめて、愛を大切に毎日を過ごすこと。そういう一つ一つの経験がいつか糧となって、実になって、"幸せ上手"になるんだと今の私は思ってます。
23歳の私と関わってくれたみんな、本当に本当にありがとう。本当にね、大好きよ。そして、24歳の私もどうか変わらずよろしくお願いします。
どうか今日という日も、あなたにとって穏やかで愛溢れる心地いい素敵な1日でありますように...。
いつもありがとう。
愛を込めて。
with love.
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