20年生きたんだって。


ハタチになるってもっと大イベントだと思っていた。


1999年の3月13日にこの世に生まれ、早20年。20年経ったんだって。信じられない。私そんなに生きたのかぁ。

20年って途方もない時間のような気がする、産まれて、今まで。とってもとっても長い時間のような気がするけど、とってもとっても短かったような気がする。

でも20年、20歳の誕生日って思ったよりも全然ドラマチックな展開じゃなかった。なにを期待していたわけじゃないけどあっという間にぬるっとハタチになってしまった。なにごとにも今までより責任が伴ってお酒もタバコもできちゃう年齢。ハタチかあ、私はどんな人になっていて、どんな人間で、これからどんな人間になっていくんだろう。

大人、ってなに?

大人って難しいよね、私は小さい時はハタチが大人だと思ってた。でも20歳になった私はまだまだ子供だったしお世辞にも大人とは言えないみたい。じゃあ25歳になったら?自分が大人だって言えるのかな、きっと上を見たら自分はまだ大人じゃないけど子供でもいられないって言うと思う。

大人の定義は難しいけれど、いつまで経っても大人にならない、なれないのなら自分のことを見つめて成長するしていくしかないと思う。人生よっぽどのことがないと飛び級なんて存在しないし、人間っていう愚かで美しい生き物は自分の人生を俯瞰するのが苦手と思うから。だから一歩ずつ踏みしめて自分が歩いてきた道をみて成長を確かめるしかないんだと思う。

私は自分で歩んだ20年の道筋と辿ってきた、積んできたものは私の財産そのものだった。何気ない毎日が積み重なりとても大きなものとなっていた。楽しかったことよりも、傷ついた経験や苦しんだ経験が、どれだけ自分の心を優しく強く成長する為の糧になっていたのか、今なら分かる。
自分の人生が平凡なものだったとは言えないし、楽しいことや辛いこと、幸せなことだったり誰かを好きになったり嫌いになったりもした。いろんなことを経験したし人に言えないことや褒められた行いじゃないこともした。でもそれもこれも私の中で、薄くても濃くても。濃度なんて関係なしに少しずつ私の歩む人生の中で糧になっていた。無駄にはなってなかった。その時には気づけなかった全てが無駄にはなってなかったと今胸を張って言えるから、あの時の涙も苦しみも何ひとつ無駄にはなっていないと断言できる自分を誇りに思いたい。

これからの人生は、もっと人を愛せる人になれるような人生を歩みたい。
ずっと掲げているけど私は人の心を明るく照らせる愛で満たせるおひさまのような人でありたい。ないものねだりはしたくないからこそ、毎日にある小さな愛も大きく抱きしめることのできる大人でありたい。色々な物事に寄り添える人でもありたい。神様でないから全員を救えるなんて思わないし、考えたこともないけれど、微々たる私の存在でも誰かにとって、プラスの存在で在れる人間になりたい。
そして、いつか。たった1人でいい。たった1人でいいから、そのままの着飾らない私をとことん愛してくれる人と出会い、私もその人のことをとことん愛したい。そんな誰かと巡り会いたい。 

ただ、私は望みすぎるとそのギャップとでしんどくなってしまうから、今はこれだけ。徐々に中身は詰めていけばいいや。見えてくるものもあるだろうしね。

まだまだこれからいろんなことを体験して自分の人生になっていくはず。必ず後悔するし必ず嫌な思いはするけど、必ず楽しいことも幸せだと思うことも愛を感じることもたくさんあると思うから、あんまり時間を無駄にせず、丁寧に過ごしたい。

20歳になった私、よくがんばりました。20歳の私は少なくとも幸せよ、これからもね。

お誕生日おめでとう、とお祝いしてくれた皆様。本当にありがとうございました。
そして読んでくれてる人へ。いつもありがとう。これからもよろしくね、ずっと支えられてます。みんなの愛で私は生きています。本当にありがとう。みんなのことがだいすきよ。


愛を込めて。


with love.

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with love.

A long memo of my milestone events. If I'm in the corner of a your memory, I'm happy.. with love.

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