四半世紀。
今日で私は25歳になった。
気づいたら四半世紀、生きてるみたい。
想像してた25歳とは違う今。
それでも、不幸なのかと聞かれたら幸せだと胸を張って言えちゃうくらいね、今幸せなの。
よく節目で「あっという間」と聞いたり、話したりすることあるけれど、この私の歩いた四半世紀、25年は、あっという間ではなかった。
嬉しいこと、楽しいこと、心躍ること、ワクワクやドキドキ、幸せというふわふわした感情もたくさん得た。けれど、そればかりではなかった。
ちゃんと傷もついたし、苦しんだし、嗚咽が出るほどに泣いた夜もあれば、時に1度だけ本気で死を覚悟した夜もあった。
過去の苦悩が人を強くさせるのであれば、私はこの25年間で相当強くなれたと思う。"自分で言うなよ"と思うかもしれないが、そう自覚せずにはいられないくらいの、十分すぎるくらいの、色々な経験をしてここまで生きてきた。いじめにパワハラ、ドラマや漫画で描かれる"悲劇"な出来事は人並み以上に経験してここまできた。
もちろん、マイナスな感情だなんてものは経験しなくていいならしない方がいいとは思う。ただその感情の全てがあってこそ、今の私が在るのも事実。
あの苦しんだ夜がなければ、人の心の痛みが想像できる人間にはなれなかっただろうし、苦しみを感じ取れる人間にもなれなかっただろう。大切な人の助けての声に応える力や知恵はなかっただろう。今の私が完全察知できる人間と言いたいわけではない。まだまだ足らない部分は沢山ある。ただもしあの過去がなければ今よりも足らない部分がより多かったのでは、と思うと、恐ろしく感じるのも本音で。あの苦しみを乗り越えた未来の私は、あれらの苦悩や経験は無駄にせず、生かすことができているのだと思いたい。"あの経験があってこそ"の私になれてるんだなと思う。"あの経験があってよかった"ではない。あくまでも"あの経験があってこそ"なのだ。
本気で死のうとしたから、死を覚悟した人の気持ちはその覚悟を持ったことの無い人間よりは深いところまで想像ができる。あの真っ黒い世界は多分本当に経験したことない人には想像も出来ないと思う。ただ、だからといってこの経験を表立って胸をはりたいわけではない。そうではない。だけど事実として、"経験した人" と "経験してない人" では 圧倒的にそこへ応える力は変わってくる。経験値と想像力は全くの別物だからこそ、この経験をどう生かすか、私なりのやり方で、これからの武器として生きたいのも事実。自分のことも私の大切な人も守るための武器のひとつとして、ね。まぁでもこう話せる今があるのは、私の場合、あの夜救ってくれた貴方がいたから此処に戻って来れたからで。貴方がいなかったら私の人生は確実に20歳で終わってた。だからこそ、私も心を救える人間でありたい。あの時のあなたのように。返しても返しきれない程の愛を、あなたにはもちろん、大切なあなたにも返したい。私は本当に周りにいてくれる愛してくれる人からの愛で生きているから...。
いつも本当に愛してくれるあなたには本当にありがとうを伝えても伝えきれないくらいなの。本当にね、いつもありがとう。
私は私。貴方は貴方。
四半世紀生きた私の結論は此処。
人はみんな自分の感性や感覚でしか物事を見れないし、自分の持ってる物差しでしか物事を測れない。儚い生き物だなと思うけれど、仕方ない。そうやってでしか人間は生きてこれないから。だけど、常にその側面には違う捉え方や違う感性を持ってる第三者がいることを忘れてはいけないと思っている。そして時としてその第三者に救われる日や学ぶ日がある。その化学反応で人はそれぞれ感性や感覚が磨かれ、物差しの幅が広がる。この繰り返しで、人は成長するんだと思う。だからこそ、手を取り合って生きていかないと生き抜けない。
価値や思考だなんてものは、歳を重ねれば変わる時もある。それは悪いことではない。そこに自分の中での軸さえあれば、根本はきっと変わらないし、その時の自分の中にある大切は守れるはずだから。そして自分の大切を守れる人間である為には、きっと色々な経験値がないと守り抜くことはできない。だから人は時として傷ついたり苦しんだりするのだと25年生きた今の私は考える。その先にある未来で、大切な誰かや自分の大切を守る力を得るために。。
色んな人がいる。その人分の価値観がある。好きもあれば嫌いもある。その好きに入れる時もあれば、嫌いに入ってしまう時もある。それでも自分の大切は、自分の信じる愛は、自分でちゃんと守ってね。私は私しか生きれないから。私の愛は他の誰にも譲れない。私の愛は私にしか持てないから。だから、いつかの夜も言ったけど、どうか"伝えなくても分かる"だなんて妖怪みたいな人間にはならないでね。幾つになっても、大好きを守って、素直に抱きしめれる、守りたいものを守れる人間でいてね。頼んだよ、私。
これからの人生なんて分からない。いつまで生きて、いつ死ぬかも、分からない。目的地もあやふやでふわふわと身を任せて生きてみた24歳。25歳になる時、また以前の私のように"明確な目標"みたいなものが少しずつ見えてきた。もう25歳、まだ25歳、されど25歳。捉え方次第で未来の振り幅は変わる。これから生きる道がどんな未来なのか、まだハッキリは見えないけれど、考えすぎても仕方ないから、時には考えすぎないで、たどり着く先に身を任せてもいいと思うよ。ただ大前提として、その先が私もあなたも幸せだといいな。心の底から素直に笑っていられたらね、本当にさ、それだけでいいよね。
25歳。少しずつまた見えてきた "目標" や "夢" に真っ直ぐ素直に生きていたい。馬鹿にされようが、笑われようが、私が幸せだったら結論私の人生単位はそれでいいんだから。
私が今なりたい人間像は、"また会いたいな"そう思われる人間でありたいということ。そんな人間になれるように、25歳も愛したい人に愛を注いで、愛情たくさんに生きていたい、ね。
24歳の私と関わってくれたみんな、本当に本当にありがとう。本当にね、大好きよ。そして、25歳の私もどうか変わらずよろしくお願いします。
どうか今日という日も、あなたにとって穏やかで愛溢れる心地いい素敵な1日でありますように...。
いつもありがとう。
愛を込めて。
with love.
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