8月31日の夜に。


8月31日の夜に。
伝えたいことを綴りたい。


まず今現在 「8月31日の夜」 という言葉を知ってる人はどれくらいいるのだろうか。また、この言葉の意味や重みを知ってる人はどれくらいいるのだろうか。

そもそも、"いじめ"だなんて言葉はいつ何処で誰が言い始めた言葉なのかと常に思う。
"いじめ"なんて言葉がある以上、"いじめ"は無くならないと思ってしまう。"いじめ"は列記とした犯罪だということを理解しているのだろうか。
"名誉毀損罪" "侮辱罪" とちゃんと罪名まであるのにも関わらず "いじめ" と横列の平仮名3文字で表現されてしまう今の現実に私は正直とても納得がいかない。


教室は比較されやすい場所だと思います。
同じ地域・年齢・学力など他人から数値化しやすい、第三者からわかりやすいような似たような属性で分けられ、40人くらいの空間に仕切られる。全く性格も能力も考え方も違うのに、1つの場所に集められる。
だから一見すると似たような子供たちとして、比較しやすい。本当はひとりひとり全然違うのに。

もし、これを見てくださったあなたが教室という小さな空間の中で誰かから攻撃されて、苦しんでいるのだとしたら、その一見として比較されやすい空間の中でしか通用しない限られたルールの中で、ほんの少しみんなとの違いがあっただけ。
その違いを世の中では、個性として尊重するべきことのはずなのに。

あなたが今苦しんでいることは、その狭い空間でしか適用されない、他の場所では機能すらしない、どうしようもないルールの中で理不尽な評価を受けただけ。教室を抜け出せば、そんな理不尽なルールは消えてなくなるし、知らなかった広い世界が待っています。

不利益なルールに縛られるくらいだったら、私はそんな場所から抜け出していいと思っている。そんなゲームこちらから降りよう。それから、公園でもいい、保健室でもいい、家でも図書館でも、どこか自分だけの空間に避難しよう。

そしてその時は嫌にならず、逃げることのできた自分褒めてあげて欲しい。認めてあげて欲しい。そんな大人にだって耐えられないような苦しい環境に立たされて、逃げられた自分を褒めてあげて欲しいなと、私は思います。

そして、今は考えなくていいけれど、十分休んで、体力が戻ったら。その時は、教室以外の自分の場所を探して見てほしいなと思ってます。東京、大阪... 日本だけじゃない。アメリカだって、ブラジルだって、オーストラリアだって、暮らせる場所はある。
世の中は私たちが思っているよりずっと広いみたいです...

そして、この声が届くのならば、その場所がいつの日にか見つかった時、あなたには傷ついた分優しく強く愛のある人になっていてほしい。

お願い。
ひとりじゃないから。
あなたは、きみは、
ひとりじゃないからね。

あなたのことが大好きで愛しくて大切に思っている人は絶対にいるから。

だから。どうか。
お願いだから、生きて欲しい。

いつの日にか、乗り越えた先に今より何倍も輝くキラキラとした未来があって、生きてて良かったって思える日がきっと来るっては私は信じているから。

誰もが、幸せになるために、愛されるために、きっと私たちは、この世の中に、人間界に、生まれてきたんだと私は信じてる。

私は、
あなたに、君に、
生きていてほしい。

傷ついた分、泣いた分、苦しんだ分、
そういう経験をしてない人よりも
誰よりも優しく強い人になれるから。

人に寄り添い、人に手を差し伸べることのできる、あたたかい人になれるから。

逃げたっていいし、抜け出したっていい。
ただ生きていて欲しい。
生きることからは逃げないでほしい。
お願いだから。

どうかこの声がすこしでも届いて欲しい。あなたにとって、未来が少しでも多くの愛で溢れますように。



with love.

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with love.

A long memo of my milestone events. If I'm in the corner of a your memory, I'm happy.. with love.

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